●「中原・平和を願う原爆展」が毎年開かれています。
原爆展や空襲展、毎年参加していても、必ず新しい発見があります。
●今回は、これまで全く知らなかった作家、武田美通(よしとお)さんに出会いました。1935年~2016年を生きた方。ジャーナリストの生活を経て、60歳を目前にして造形作家の道を歩みます。
当初は鳥や花などを描いていましたが、その後の15年間は、「戦争をする国」への兆しに抗うように「戦死者たちからのメッセージ」を伝える作品を創り続けたそうです。
●その内の一点「残された数秒の母子のいのち」が、この会場に展示されていました。洗練されたフォルムにひかれて立ち止まると、実は恐ろしい姿だったのです。
この母子は、4秒後に手りゅう弾で自決します。沖縄だったのか、中国からの引き上げだったのかはわかりませんが、このような壮絶で無念な死が、どれ程あったことでしょうか。
●「戦死者たちからのメッセージ」と題するパンフレットが、脇に置かれていました。
パンレットの言葉を抜粋します。「当時は皆、二十歳前後の前途あるはずの若者でした」「無謀、不条理な作戦命令の下、私達は鉄砲火に、病に或いは飢餓の中で斃(たお)れていったのです。トカゲや蛇、サル、昆虫などはもちろん、わが身の銃創にわく蛆(うじ)まで食べつくしての闘いでした」
「最近になって、私達が愛してやまない故郷日本が、再び戦争のできる国になろうとしているとの気配を感じ、私たちの眠りは破られました」「私たちの死を無駄にしないでください。遥かなる故郷の平和な風景を夢に見ながら、懐かしい父や母、兄弟姉妹、友人たちの面影にあたたかく抱かれながら、どうか安らかに眠らせてください」
●戦争の悲惨は、語り尽すことができません。
武田さんの作品を通し、他の展示を通し、戦争の悲惨と愚かさを胸に刻むことが、戦争で命を奪われた人への哀悼の行為です。
戦争の悲惨は、対「敵」だけではありません。戦地で死んでいった兵士が、銃に倒れた数より、餓死が多かったという話、特攻隊が不備な飛行機で飛び立ち、標的にたどり着く前に墜ちて行ったという話。
どれもこれも無謀な戦争を物語っていますが、壮絶な悲劇は「戦地」だけでなかったことも、満州からの引き上げ経験が否応なく教えてくれます。また普通の市民の暮らしがどれほど非人間的なものにならざるを得なかったかも、戦中を描くテレビドラマなどでも度々、語られています。
軍備の増強を語り、「敵国」に脅威を与えようとする人たちは、この悲惨をどのように受け止めているのでしょうか。(2021.11.7)