●14回目を数えてしまった「原発ゼロへのカウントダウンinかわさき」に参加。
政府は今年の2月18日、第7次エネルギー基本計画を閣議決定しました。そこには「2040年に向けた政策の方向性」として「再生可能エネルギー、原子力などエネルギー安全保障に寄与し、脱炭素効果の高い電源を最大限活用する」と明記されました。
これには驚きました。痛切な3.11を経験し、その進行中の被害を抱えた国が、原発を最大限活用すると?
14年経っても原発事故は収束していません。デブリは880トン、最近ようやく試験的取り出しに成功したのが僅か0.8グラム(一円玉が約1グラム)、汚染水の海への放出を続け、汚染土の置き場所も飽和状態、故郷に帰れない人が未だ2万7千人…どう考えても原発は人間がコントロールできるものではありません。だから事故後「可能な限り原発依存度を低減させる」としてきました。
ところが今回、それがひっくり返されました。まともな判断力が働いているとは思えません。私には狂気と映ります。「DX(デジタルトランスフォーメーション)やDG(Dangerous Goods/危険品)の進展に伴い電力需要の増加が認められる」ことを理由としていますが、原発の危険性はそんなことと引き換えにすることはできません。電力会社や原発産業の意向がよほど強く作用したのか、いずれにしろこの方向転換は見逃すことができません。更なるつばぜり合いが必至です。
●この日のゲストはお二人。
北野進さんは、能登の珠洲原発建設阻止の大闘争を担ってきた方。次のように語ります。
昨年の能登の地震は、人口密度に照らせば阪神淡路大震災を上回る甚大な被害、ここに原発が重なっていたらどんな惨状になっていたか。
原発立地が予定された珠洲市は、能登地震の震源地、震度6の揺れと最大4.7メートルの津波、6000棟以上の家屋倒壊等々甚大な被害。(原発建設が阻止されていたことに日本中の人々が胸をなでおろしました)
1975年に持ち上がった計画は、住民の反対運動と電力会社のきり崩しの末に、2003年12月に凍結となりました。実に28年の闘いでした。
この間のあらゆる選挙を、原発を許さない闘いとして経験。凄まじい不正選挙もありました。市長選挙では、投票総数より投票用紙が多いという事態や、不正用紙の混入やぬきとりなどもありました。
でも負けなかった住民の声が地域を救い、日本を救う、自分たちの暮らしを守りたいという思いと行動がどれほど大切かと思います。
●FoE Japan事務局長の満田夏花さんは、次のように。
原発はお金まみれ、権力まみれの状態で、結果政府の試算もウソだらけといった状況。
福島は廃炉の形すら見えていません。今も土嚢の表面は4.4シーベルトという深刻な汚染、これは2時間で人が死に至る濃度。中間貯蔵施設も満杯で汚染度を全国の公共施設で使用する予定となっています。
電力使用量がDXなどで格段に増えるといわれていますが、データセンターなどの使用料は全国使用量の10分の1であり、原発無しで十分賄える等々、国と電力会社の情報の欺瞞性を指摘します。
●この後は、切実な問題と闘う川崎の市民運動の方たちから報告と決意。
あの衝撃から14年、混迷を深める日本とは対照的に、福島事故の直後に原発ゼロを決意したドイツは2023年、最後の原子炉が停止となりました。
(2025.3.23)