●神奈川生存権裁判が闘われています。
9月8日には原告への尋問を終え、来年4月には結審、8月には判決といわれています。
13日の第22回口頭弁論は、元ケースワーカー及び元記者に対する尋問が行われ、傍聴に参加しました。
●当初予定されていなかった事前集会も開催され、大山議員と君嶋が参加しました。
挨拶では、生活保護申請に関わる県議会の取組みを紹介しました。「扶養照会は義務ではない」という国会答弁に引き続き、神奈川県議会では「本人の意思に反する扶養照会は行わない」との答弁を引き出しています。
しかしながら、どの分野でも、議会での成果や担当課との確認が、実際の現場に行きわたるには時間と工夫が必要です。これらの確認を活用し、ともに、生活保護受給の不当なハードルを無くしていくことを呼びかけました。
●尋問に応える形で陳述した元ケースワーカーMさんは、障がい者支援施設職員などを経て、生活保護現業員と生活保護査察指導員として8年従事された方。
現役の職員の口から語られることが好ましいが、現役の職員は、このような場に立つことが容易ではないため、自分があえて述べると。
●陳述は、受給者の生活の実態から。
*夏休みなどの長期休暇後、子どもがやせる現象は珍しくなかった。(家庭の食事だけになり、給食が無くなった場合の変化)
*下着は繕って使い、外出着も自宅にいる時も同じ服装。同一季節内は同じ服装。理髪店にはいかず自分で切る。
*本を読むことを諦め、文化的なものに触れる機会もない。
*お金がかかる付き合いはしない(できない)。香典が必要な葬儀にも参加できない。これらは、社会的な孤立感を余儀なくし、実際の孤立も生み出している。
*冷暖房を節約し、暑さ・寒さは、服装の調節で乗り切る。日中は日当たりのいい場所から動かない。
*家電所有率が低所得世帯との差が無くなっているとの統計があったが、実態は、新たな購入などは殆どない。保護開始時に持っていたり、事後に譲り受けたものが一般的。不要となった家電などを(福祉)事務所に保管し、必要な人に届けていた。
●2013年8月以降の生活保護費切下げ後の変化を聞かれて。
*2008年のリーマンショック以降、生活保護は大幅に増え、2011年には、過去最高の1951年を超えて約207万人に達した。
*この中で、2013年から2015年にかけて、最大10%を限度に平均6.5%の引き下げ、標準世帯で年約2万円の減。
それまでの生活保護基準でさえ十分ではなかったのに、引き下げ後さらに厳しくなり、ささやかな楽しみも諦め、人間として当たり前の暮らしができなくなっている。精神的なゆとりを失い、将来への不安が強まっているのではないか。
バッシングなどにより、社会的な偏見も強まっている。引き下げられた額と収入認定額の比較により、当然却下の率は増える。
生活保護基準を目安としている47の関連諸制度全体を切り下げる扉を大きく開けた。
●業務取扱上の変化
*引き下げだけではなく、制度的な変化をもたらした。「健康の保持及び増進」「支出の節約」などを努力義務としたうえで、調査権の強化、家計管理の強化などが行われた。不正受給対策を強化し、調査権限の拡大、罰金額を30万円以下から100万以下に引き下げた。
*特別控除が、十分な説明もなく廃止となった。
*扶養義務者には資産や収入の報告を求めることができるなど、扶養義務履行に関わる資料の提供や報告の扱いを強化。
*生活保護基準の引き下げは2013年以降も続き、生活基準の底が抜け続けている。住宅扶助費の上限引き下げ2015年7月、冬季加算引き下げが2015年11月、生活扶助基準の再度の引き下げが2018年から3年かけて最大5%・平均1.8%で行われた。
●今後の生活保護制度について
「相対的な貧困」観に立脚すべき。衣食住に事欠くような「絶対的貧困」ではなく、社会的な排除に至らせないためには「相対的貧困」レベルで考える必要がある。一日に1000円で三回食べ、何らかの衣類があり、寝る部屋があれば、それで人間的な暮らしなのか。これでは、生活保護世帯を肉体的生存のレベルまで貶めてしまう。
●いずれも納得できる内容でした。
憲法25条がうたう「全て国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を死文化させない闘いが、長い間続いています。
仮に国の支出を抑える必要があったとしても、その対象を生活保護費の切り下げに求めるなどなどあり得ないことです。
午後の傍聴はできませんでしたが、思いを強く共有します。(2021.12.13)