君嶋ちか子

きみしま 千佳子
神奈川18区から政治を変える
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神奈川18区女性・雇用相談室長前神奈川県議会議員
活動日誌

NEW!平和のつどいに相応しい会場 |君嶋ちか子|前県議会議員

2026年6月19日

●44周年を迎えた「平和をきずく市民のつどい」が開催されました。

川崎市には市民の誇るべき取り組みが少なからずありますが、このつどいもその一つ。

1982年6月8日、川崎市は政令市としては全国初の「核兵器廃絶平和都市宣言」を発しました。この日を記念して毎年このつどいを開催しています。広範な市民・団体・個人から実行委員を募り、実行委員会が作られています。

●この会場となっている平和公園と平和館にも、平和を願う市民の取り組みがぎっしりと詰まっています。

平和公園の地は、敗戦までは東京航空計器という軍需工場でした。この工場は1945年4月15日の川崎大空襲で真っ先に攻撃され、壊滅的な被害を受けました。占領直後米軍が接収し、「米陸軍出版センター」が造られ、朝鮮戦争やベトナム戦争時の謀略ビラなどを印刷していました。

●1965年、川崎で開催された平和大会がきっかけとなり、出版センター返還運動が始まりました。

1967年に東住吉小学校の児童が米軍関係者の車にひかれ死亡。その事故後、綱島街道に歩道橋をという運動が起きています。橋脚部分が基地内に及ぶため「その部分だけでも返還を」という強い願いは、1000㎡の返還を実現させ、1年半越しで歩道橋が完成しました。

この時期は伊藤革新市政、長洲革新県政の下、高校増設運動も活発でした。「基地を返還させ県立高校と公園を」という市民の声に、川崎市や議員の働きかけも加わり、1975年には全面返還が実現します。

その地に、1980年には県立住吉高校、1983年には平和公園がつくられ、この合間に先の「核兵器廃絶平和都市宣言」を発しています。実に充実した時期でしたね。

●1985年、「平和をきずく市民のつどい」として、公園内に平和館をつくる要望書を提出しました。市の「平和館構想」などを経て、1992年には平和館が造られました。

以来、平和館は平和の大切さを伝える常設展や特別展が行われ、当「つどい」の会場ともなっています。平和公園では「平和コンサート」・平和を願う灯篭流し・「原発ゼロへのカウントダウン集会」などが行われています。

軍需工場、米軍施設を経て、市民の運動とともに平和を象徴する施設に生まれ変わったのです。まことにこのつどいに相応しい会場です。

●毎年、様々な団体が出店する屋外会場で懐かしい人たちとの交流を楽しみ、午後からは平和館内で、講演や展示で学んできましたが、今年は大事な会議と重なり、講演は最初のところだけの参加。

今年の記念講演は、ジャーナリストの弓狩匡純(ゆがりまさずみ)さん。教育現場における「戦争・被爆体験の継承」を活性化させる取り組みとして、大学・高校・中学校などで精力的に講演活動を続けてらっしゃるとのこと。お話をしっかり伺うことができず残念でした。

    

(2026.6.7)

  

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