●8月7日~15日朝まで、ロシアに行っていました。
ロシア革命100周年の今年、その足跡を歩きたいとの夫の提案から始まり、私も日数を確保することにためらいはあったものの、内容的には異存なく応じた次第。
「ロシア革命」今さら、という方も少なくないかもしれませんが、私はこの世界初の試みに熱いものを感じます。
労働者や農民が搾取のない世界をめざし、圧倒的な力を誇っていたツアーリズムと闘い、勝ったのです。
当時人口約200万のサンクトペテルブルグで、50万人のデモが度々行われたというのですから、どんな切実な闘いだったかがわかります。
●世界史上初、マルクス・エンゲルスの理論を引き継ぎ、なおかつ現実社会を動かし、その仕組みを作ったのですから、20世紀の世界をどれ程勇気づけたことでしょう!
非常に残念なことに、スターリンの大国主義的な誤りや他国への干渉、そしてソ連邦の崩壊はありましたが、革命の経験と輝きは、形こそ変われ現在の世界に繋がっています。
ロシアの資本主義的な後進性、お手本のない闘い、等の時代的制約の中で、この広い国土を動かし、レーニンも国民もよくぞ!と私は感動を抑えられません。
●モスクワ4泊では、レーニン廟・クレムリン宮殿・赤の広場・レーニンの亡骸をモスクワまで運んだ列車が展示してある鉄道博物館・多くの美術館等を感慨を持ってみました。
1924年に亡くなったレーニンは、ゴルキ村からモスクワに運ばれますが、雪の中を村民の長い列が続いていました。モスクワの葬儀には200万人の市民が集まりました。
●サンクトペテルブルグは3泊、よく歩きました。レーニンが亡命先からロシア入りしたフィンランド駅(ロシアは、そこを出発した電車の行き先が駅の名前になっています)。
この駅前広場に夜中に到着したレーニンを多くの群衆が待ち構え、いっせいに「ウラー(万歳)」と「ラ・マルセイエーズ」が沸き起こったといいます。
この電車と同型列車が駅に保存されています。
1917年を前後してソビエト本部が置かれていたスモーリヌイ女学院、その頃の息吹が伝わってくるようです。
またオーロラ号の空砲が、臨時政府の閣僚を捉える合図でしたが、この巡洋艦もネヴァ川近くに停泊しています。これらの歴史的場所が至る所に。
(エルミタージュ美術館前の宮殿広場、美術館は冬宮と言われ革命当時は臨時政府が使用)
(ソビエト本部が臨時政府閣僚を逮捕する合図の空砲を放ったオーロラ号)
●ワクワクしながらの数日を終えました
これらはもう少し詳しく18回にわたりフェイスブックfacebookに、投稿しています。そちらも見ていただけると嬉しいです。(2017.8.15)