立憲主義が乱暴に踏みにじられた日、でも不思議な静けさと希望も感じられた2015年9月19日から一年が経ちました。
「戦争法廃止」の思いを掲げ、国会正門前に2万3千人が集いました。この日、列島の各地で400を超える集会が、同じ思いでもたれていました。
一年前と同じように雨が降る日でした。
私は、秘密保護法、集団的自衛権行使容認、極めつけの安保法制強行、と続いたこの数年に思いを巡らしながら参加していました。
安倍政権が日本をずたずたにしていく過程とともに、より鮮やかに思い返されるのは、そこに立ち向かった国民の姿です。
とりわけ昨年、若いお母さんたち、高校生やシールズの若者達、学者の会、そして市民連合など声を上げ行動する人たちがどんどん広がり続けたことがどれだけ、心強くうれしかったことか。
「アー日本にもまだこんな力が残されていたんだ」と喜びつつ、次第にそれは「新しい力に確信を覚える」という思いに変わっていきました。
その中で野党共闘が様々なレベルでつくられ、広がっていったのは、本当に驚きでした。私は「アー日本でも反ファシズム統一戦線ができるんだ」と感慨深かったです(もちろん正確な分析や規定は別としてですよ)。
そして画期的な国政選挙における「市民が後押しする野党共闘」の活躍。
思い返すことばかりではなく、この日の参加者も素晴らしかったです。スピーチは、どれもこれも核心をつき、人間としての誇りを感じさせてくれました。
人間らしく生きるために何が必要かを問い、自分を社会に位置づけ行動に立ち上がる、この経験を経て、今も闘い続けているからでしょう。この説得力ある言葉のゆえんは。(2016.9.19)