●「新かながわ」創刊60周年記念講演とシンポジウムに参加しました。
「新かながわ」は、1965年に日本共産党神奈川県委員会が、「党と住民の方との結びつきを強める」ことを目的として、創刊しました。マッカーサーの弾圧で廃刊となった県委員会の機関紙「新神奈川」(1949年5月発行)の役割を引き継いだものでした。
創刊号のトップ記事は、「安保県民会議」の再開を党県委員会が呼びかけるものだったそうです。「安保県民会議」は60年安保闘争を闘う基盤でした。その安保県民会議を再開し、「アメリカのベトナム侵略反対の闘いを」という呼びかけでした。
以来「新かながわ」は、県民の闘いとともに歩んできたと思います。
●「県民のたたかいと新かながわの役割」と題するシンポジウムがあり。各分野から5人のパネリストが報告をしましたが、神奈川ならではのたたかいだなと思ったのは、平和委員会の菅沼幹夫さんによる「神奈川の基地闘争60年」。
横須賀の空母母港化の闘いも、私は当時札幌にいたものですから、知らなかったことばかりでした。1966年5月30日原潜スヌークが横須賀に初入港した時には、終日2万人の抗議集会を繰り広げたそうです。
また横須賀市議会は全会一致で「空母母港反対決議」も上げています(72.1.21)。
その後市長が受け入れ表明をしてしまうのですが、市会議員全員参加で「空母母港化反対市民大会」を開催しています。凄いですね。
戦車闘争もすごい! 1972年、ノースピア前で相模補給廠に戦車を閉じ込め、約100日間の搬出阻止闘争を組んだことなどが(これはパネリスト藤井さんの資料)記されていました。これはベトナム人民支援として有名な話でしたね。
厚木のNLP(夜間連続離着陸訓練)、トマホーク配備反対の取り組みも全県的なものとなり、5万4578筆の署名を背景に横須賀市長が、外務省に対して非核三原則の順守を求めたそうです。
2000年代に入ってからは、米軍再編、オスプレイ厚木基地飛来、そして横浜ノースドッグに新たな輸送部隊が配備されて…と続きます。
●2009年から2025年5月までの抜粋による縮刷版も、様々な場面を思い起こさせてくれました。
関りもあり記憶も重なる主な記事を辿ると、2009年の日産の大規模な解雇、解雇撤回を求める5人の闘い、同じく2009年の米兵に妻を殺された山崎正則さんの日本政府の責任を求めた民事訴訟、2010年には沢田研二が「女性9条の会」でうたう「我が窮状」、2014年の神奈川フィル争議の地労委勝利命令(在りし日の杉本さんの笑顔)、同年衆議院選日本共産党8議席から21議席への躍進、そして2015年4月19日号の「共産党大躍進県会6議席」の記事が懐かしい写真(この写真には亡き優も笑顔で)とともに、2016年資生堂・アンフィニ争議の勝利和解、同年共産党県議団にかけられた攻撃である代表質問制限問題、2017年川崎市の中学校給食開始、2018年グリーンディスプレイの過労事故死の勝利和解、2019年川崎の原発ゼロ集会も大きく、2019年台風19号の甚大な被害(中原区の状況は私が寄稿)、2020年はコロナとの闘い、2021年カジノに終止符を打った山中横浜市長の誕生等々。
様々な戦いを振り返ることは、自分たちの熱と力を再認識させてくれます。時代状況は変わって当時のような闘いを組めるとは限りませんが、人間には熱と力があります。
神奈川だけではありません、全国で、世界の各地で、人間たるゆえんを貫くための闘いが、これまでもそしてこれからも取り組まれていくことでしょう。(2025.9.6)