大山県議とともに川崎区の簡易宿泊所の火災現場を訪れました。片柳川崎市議に案内していただきました。
火元となった「吉田屋」の焼け跡はすでに片づけられ、延焼した隣の「よしの」が黒い柱と梁だけの状態で残っていました。敷地は高いブロックの塀で囲まれ、「非常口まで逃げ延びても塀に阻まれ進めなかった」「燃え盛る建物と塀の隙間をやっとの思いで抜けて門までたどり着いた」「三階から飛び降りて骨折した」などの話がリアルに迫ってきます。死者10人、負傷者18人という惨事はこの建物・敷地の状態が拍車をかけたと言えます。木造2階建てが、実際には3層として使われていたという問題もあります。
いまだに所在のわからないお骨や、引き受けのないお骨もあります。照合先が特定できないため、DNA鑑定などもそもそも成り立たないケースもあるということです。この簡易宿泊所の実態ゆえの辛い話です。
「宿泊所」でありながら、10年、20年と住み続けることを余儀なくされたケースも珍しくありません。
住居の定まっていない生活保護受給者を簡易宿泊所に案内する、というのが当たり前になっている実情があります。
日本共産党川崎市議団は、この事故以前から住居確保の必要性を訴えています。アパート入居の際の障害となる保証や資金の問題に市が責任を持つこと、公営住宅の安定的提供などが不可欠です。
この近くには49棟の簡易宿泊所がひしめき合っています。日本の産業と社会を支えてきた一側面が胸に迫ってきます。(2015.6.9)