●またこの日が巡ってきました。原発ゼロを願って原発事故の翌年から始めた集会。
皆に育てられ川崎の取り組みとして定着した、思いの詰まった集会ですが、7回目を数えてしまったことが、つらくもあり…といったところ。
●あの日から7年が経っても、福島県では約5万人の人たちが避難生活を余儀なくされています。
福島県の地震・津波による死者数が1605人、原発関連死が2200人超という数字が原発事故の深刻さを語っています。
デブリの取り出しも、可能な方法を確立できず、まだ始めることさえできないでいます。
汚染水のタンクは敷地に溢れんばかり、既に100万トンに達し東京ドーム満杯に近づいているといいます。
原発は、人間が使用できるものではないという事です。
●一方で、再稼働反対の声は揺るぎません。一貫して過半数を超えています。また今も全国各地95か所で、月一回以上の定例行動が取り組まれています。
「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」の提案や、野党4党(立憲民主党・共産党・自由党・社民党)による原発ゼロ基本法案の衆院共同提出という画期的な動きもあります。
国民の力で、原発はやめさせなければなりません。
●そんな思いを込めた一年が過ぎ、七度目のこの日を迎えました。
原発事故を経験して、市民は鍛えられました。
市民運動が様々な分野で取り組まれています。安倍政権の暴政吹き荒れる政治状況をも反映して、行動に初めて参加するという人が増えました。
いわゆる「市民」が野党共闘を後押しする状況もあり、歴史的な野党共闘が曲折含みながらも進んでいます。
私達は、かつてない経験をいくつもしました。
●この日も、「困難な状況はいやになるほどあるけど、みな明るいなー」と思いながら、参加していました。
集会だけではなく、集会の周りを囲む市民活動などの出店(出展も)回り、懐かしい人と言葉を交わし、仕事に関わり問題抱える人の相談にのり、と結構忙しい時間となりました。
パレード終えた頃、Kさんに久しぶりに会いました。「優ちゃんのこと思い出しながら歩いたのよ~」と言われ、二人で涙。
あの子は、この集会の司会もしていたし、パレードのコールもよくやっていました。どこに行っても、優の姿がよみがえります。優に会いたい…。(2018.3.11)